米国株:1987年のブラックマンデーはどんな感じだったか

1987年のブラックマンデーはどんな感じだったか。。。

パニック

1987年のブラックマンデーを一言で言い表せばそれはパニックでした。

1987年10月19日月曜日

ダウ工業株価平均指数は508ポイント下落しました。

率にするとマイナス22%でした。

出来高は過去最高の2倍の6億株でした。

このブラックマンデーの前の週世界の株式市場はすでに神経質な動きをしていました。

その理由の一つは金利上昇でした。

もう一つの理由はドル安でした。

金利上昇・ドル安

ロンドンではブラックマンデーの前の金曜日、暴風による停電でロンドン証券取引所が閉鎖になりました。

トレーダーたちは個人賞味調整ができないままに週末を迎えました。

その週末ベイカー財務長官は、市場をなだめようとして「ドルはもっと下がる必要がある」と発言しました。

これは善意の発言だったのですが、アメリカが通貨戦争を仕掛けてきているというふうに市場に解釈され、翌月曜日は香港市場が急落で始まりました。

香港の急落を見たロンドンのFT100指数は朝方だけで150ポイント下げました。

ニューヨークの取引が開始されると下げ足を早めました。

その日のロンドンの下げはマイナス6%

パリはマイナス10%でした。

その他東京フランクフルトなども下げグローバルな株安が進行しました。

アメリカではまずシカゴのSP500先物がどんどん安くなりました。

取引に乱れ

現物株が圧倒的な売り物の前に、売買成立させることができず時間だけが経過する一方で、先物が主導する形で売りが売りを呼んだわけです。

ニューヨーク証券取引所で、個別株の売買が成立したのは寄り付き後2時間ぐらいでした。

売買が成立した場合でもその約定報告が、事務の混乱により大幅に遅れました。

株価を伝える連行掲示板も遅延したため、現在の株価と現行掲示板の株価の不一致が、投資家のパニックを一層あおる結果になりました。

投信は解約に備えて、キャッシュ比率を引き上げるために慌てて売りに回りました。

個人投資家は信用取引のマージンコールで、持ち株を手放せざるを得なくなりました。

年金ファンドはポートフォリオinsuranceプログラムにより、自動的に売りを加速させました。

まとめると、ブラックマンデーはグローバルな株安であり、金利上昇とドル安への不安が引き金でした。

ポートフォリオinsuranceの先物売りが混乱を大きくしました。

参考動画:YouTube

米国株「決算をチェックしましょう」

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